社会館について

広島キリスト教社会館の歴史

社会館前史

1890年
N.B.ゲーンズ宣教師(資料1)がこの地で伝道を開始
1918年
ジャネット・ミラー宣教師 愛光園設立、初代園長にスチュワード宣教師就任、中塚牧師が受け継ぐ。
隣保事業(セツルメント運動)開始
1932年
中尾一真が、福島町子どもの家で活動
1939年
ウエマイン・ハッカビー宣教師夫妻が太平洋戦争開戦まで活動、その後福島一致教会(資料2)が引き受ける
1945年
原爆により施設が壊滅。跡地に住民のバラックが建つ。
1949年
広島女学院に越人したメアリー・F・ジョーンズ宣教師(資料3)が部落差別と地域の現状に触れ、愛光園の再建と責任を感じ、米国へも働きかける

社会館略史

1956年
メアリー・F・ジョーンズ宣教師の働きにより、現在の場所に換地を得る
12月2日に広島キリスト教社会館定礎式を行う。 *別紙資料「定礎式の言葉」
資金は主として米国メゾジスト教会婦人部の支援による。
社会館内に東岡山治牧師の協力で、日本基督教団福島町伝道所設立
1957年
6月2日に広島キリスト教社会館落成式を行う 保育事業は5月より実施、隣保事業(学童保育)及び部落解放運動を中心に出発する
1963年
『社会館だより』第一号発行(館長:L.H.トムソン宣教師)「資料4」
1964年
西中国教区総会にて教区内の社会福祉事業法人化のための委員会設置を承認される
1967年
3月に「社会福祉法人西中国キリスト教社会事業団広島キリスト教社会館」として厚生省の認可を受け法人設立「資料5」。教区内諸教会との連携と協力関係の形成。「運営委員会」が職員、教会(牧師、信徒)、地域関係者の構成によって設立される
1971年
同法人が「戦責告白」に基づく被爆孤老のための特別養護老人ホーム「清鈴園」設立
1973年
社会館にて教区「第1回部落解放セミナー」開催 「部落解放を目指す会」発足。「解放研究所」を設置し、部落解放を軸とし人間の開放に関する資料集などを開始する
保育所に同和地区加配保母1名の配置が認められる同和地区に約10%の在日韓国・朝鮮人が居住。 *別紙資料『社会館だより』29号(1973年12月発行)参照
1978年
保育所新園舎増改築工事完了。乳幼児保育を開始 定員を乳児60名、幼児30名の90名とする
1980年
保育所の定員を120名に増員。「もみじ事業所」(重度心身障害者作業所)へ1室貸与
1982年
創立25周年事業として本館改修工事を行う。
10月に「創設25周年・本館修正工事完成記念集会」を行う
1983年
教区に「部落差別問題特別委員会」設置 同委員会主催「部落解放現場研修会」が毎年開催され、以後社会館がほぼ隔年で会場となる
1984年
「かざぐるま舎」(精神障がい者1共同作業所)に本館の一室を貸与
1985年
グループ活動部(学童保育)に「障がい児」10名受け入れ
*別紙参照『社会館だより』56号(1985年7月発行)参照
1987年
保育所の定員を110名に変更
1993年
「もみじ作業所」が法人設立に伴い退館
1994年
保育所外壁・空調設備改修工事完了
1995年
高齢者いこいの場「かりん」開設
保育所の定員を90名に変更
1997年
5月に「創立40周年記念式」を行う
6月より広島市の委託を受け、デイサービスセンター「かりん」を開設
1998年
延長保育を開始
1999年
5月より地域の高齢者家庭のための「いこい食道」開設
11月に創始者メアリー・F・ジョーンズさん来館
2000年
訪問介護事業所「かりん」開設
2002年
保育所内装改修工事完了
2004年
居宅介護支援事業所「かりん」開設 かざぐるま舎が退館
メアリー・F・ジョーンズさん逝去、遺言に基づく遺産の分与(2,742,777円)を受け、学童向け図書や機器備品の整備に用いた
広島県社会福祉会主催事業のホームレス支援「くつろぎ入浴サービス」に協力(2005年7月まで)
2006年
保育所定員を80名に変更
保育所外壁改修工事完了
2007年
本館大規模改修工事を実施
2008年
12月18日 広島市放課後対策課より学童保育事業に関する事業開始届出通知を受理
2008年
2月17日「創立50周年記念式」を行う
2014年
7月に広島キリスト教社会館学童クラブが広島市の民間放課後児童クラブ運営団体公募に選定され補助金の交付決定を受ける
2016年
3月 保育所建物耐震改修工事完了
「スペースこむぎ」(ひとり親家庭等居場所作り事業)開始。 学習支援や食事提供(子ども食堂)などを始める
2018年
11月1日 障がい福祉サービス事業 生活介護を介護保険デイサービスとの”共生型”事業として開始
2019年
1月 広島県省エネ設備導入補助金を受け保育所ソーラー発電システムを設置
4月 保育所定員を70名に変更
12月に広島市民間放課後児童クラブ運営団体公募に選定され地域の声に応え学童クラブ第2を別館に設置
2020年
4月1日 広島キリスト教社会館学童クラブ第2が事業を開始
第2事業開始に伴い 本館第1クラブを「陽だまり」、別館 第2クラブを「こもれ陽」に呼称
2022年
4月 保育所定員を60名に変更

 

*現在の活動は別紙資料「2016年度総会資料報告書」を参照

資料1:
ナニ・B・ゲーンズ 1860年米国ケンタッキー州生まれ。1889年米国南メゾジスと教会より来日し、広島女学院(当時は広島栄和女学校)初代校長となる。
資料2:
福島一致協会 広島市では、1907 年に差別されている町民たちの生活相談所として福島町に一致協会がつくられ、1914 年には福島町青年会も結成され、更に1917年には町内改善を目標として広島共鳴会が創設される等福島町を中心に相当活発な部落解放の動きがみられていたが、水平社が結成されてからは、1923年7月30日に市内十日市町の新市座で広島県水平社大会を開催し、広島県水平社を結成し、全国水平運動の一環として活発な活動を行うこととなった。解放無名戦士の碑(中区舟入町西平和大通り緑地帯)表に「凍てつく大地にあなたは種子となった」と刻字。裏面は「この碑は解放運動のなかばで倒れた先輩諸兄姉を、とこしえに記念し、たたえるためのものです。この人びとの輝ける遺業をうけつぎ不屈の闘いを顕彰すこるとは、日本の平和と独立、民主主義と人権を守る闘いを励まし、長く解放の礎えとなるであろうという日本国民救援会広島県本部の呼びかけにこたえ、広島県民各階層の絶大な賛同のもとに設置されたものであります。 建設資金は、日本社会党広島県連合会、日本共産党広島県委員会、広島県労働組合会議、民主団体、県内外の労働者、農民、労働組合、県民有志の協力と募金によってなされ、3 月18日パリ・コミューンの記念日に着工し、第34回統一メーデーの日に完成したものであります。1963年5月l日解放無名戦士の碑建設実行委員会」と刻字。
資料3:
メアリー・F・ジョーンズ宣教師 1915年米国ニューヨーク州オデッサ生まれ。1948年広島女学院に英語教師・宣教師として来広。1951年に一旦帰国し、社会福祉の勉強後、1953年再来広。
資料4:
「社会館だより」第1号報告内容:乳幼児部50名グループワーク部活動・・・英会話、日本舞踊、活け花、洋裁、料理、アカシア(コーラス)、生活相談、学習グループ(小学生)
資料5:
現在の運営事業:「広島キリスト教社会館;(1956年設立/学童保育、保育所、高齢者介護事業)、「清鈴園」(1971年設立;廿日市市/『戦責告白』の具体化として1968年代15回教団総会決議に基づく)、「廿日市高齢者ケアセンター(阿品清鈴)(1994年設立/高齢者福祉全般)、「亀の里アパート」(1972年設立;山口県岩国市/障がい者の自立支援/周防教会連携)、「ねむの家・湖水園」(1998年設立;島根県益田市/ケアハウス、デイサービスセンター/益田教会連携)
                                                                                              (まとめ:主事 西嶋 佳弘)